ニッケイが責められるのがお気の毒なくらい放送協会はひどかった。何とHPでの一方的な発言を紹介したのみ。HPや❌なんて、タイムラインで流れてきて読んでます。これの何がニュースなんだかねえ。
寒くて風の強い朝、ゆうべの雨は山頂では雪だったようでで富士山が真っ白です。
写真を写すために電車を一本見送ったら、次の電車が遅れてしまいました。

小走りで教室に向かいました。

課題は金属系のものだったので今日はフォークも持ってきました。
一緒に入って仲良くなった友人に、こんな可愛いカトラリーをどこで買ったのかと聞かれて苦笑。だってこれは学生時代、30数年前に買ったものなのです。
答えたところで何の役にも立たない。過ぎた年月を思いつつ、でも、、、「神戸なんですよ。」と言うと食いついてきました。
なんと友人も神戸にいたと言うので、それならあの店を知っているかもしれないと話し始めました。

特別仲良くしていた訳ではないので共通の思い出は少ないけれど、途中まで同じゼミだったから何度も話していた人。4ヶ月も気づきませんでした。
あまりの驚きに、開始時間が過ぎても二人であれこれ話し込んでしまいました。
先生は叱りませんでしたが、我々実は意外と真剣に取り組んでおりまして、話をぶった斬って何とか絵を描き始めました。流石に集中するのは難しかった。
しかも、先生が思わぬことを言い出し、二人でキョトン。
先生は自分が課題として出したことを忘れてしまっていました。
まさに狐に摘まれたような気分です。
でも、先生が「金属系のものを」なんて言い出さなければ私はこのカトラリーを持ち出さなかったわけで、永遠に「絵画教室で一緒だった人」で終わったかもしれない。こんな偶然、人生でそう何度も味わうものではなく、よしとします。
我々がたった7人しかいない絵画教室で再会できて、お互いを認識できた確率ってどう計算したらいいんだろう?
実はこんな偶然まみれの世界で生活しているってこと??

帰りもしばらく一緒に歩いて帰りました。
一度だけ授業で見たことある歌舞伎の話、英語のノートの話、、、。
英語の担当は年老いた先生でした。
ノートの取り方に厳しく、苦戦しながら仕上げました。
学年が終わった時、先生が言いました。「このノートを10年封印して10年後に読みなさい。」
私は封印しました。大人の10年はあっという間でした。開封して号泣。
昔の自分の文字も懐かしかったし、あちらこちらに落書きのような、メモのようなものもありました。
先生が10年封印するように言った理由は「今の年齢ではこの詩の意味が分からないから。」と言うことで、大人になった私は読んで、沁みて、泣きました。
そして私はまた封印し、10年後に読んで更に泣きました。
あのノートは持ってくるべきだった。20代の自分と再会できる貴重なノートだったけど、捨てられてしまったかなあ。
興奮状態のままお茶のお稽古に行き、食事をして帰りました。

駅前で「📺のニュースはおかしいですよ。」と一生懸命話している団体がありました。どうすれば伝わるんでしょうね?コロナの頃だって一生懸命「ただのカゼです。」と何度も何度も伝えている団体がいた。どうすれば無関心層の心に響くんだろう??
月の綺麗な夜でした。
今も交流のある友人に今日の出来事を詳細に送って眠りにつきました。























































































