先生の気配

引っ越して来て、お茶を始めて3年目になりました。

お茶は辞めるつもりでいたのですが、3年前の夏休みに帰省して先生と話して、お茶を辞めてはいけない、と思い、教室を探したのです。

高知を離れることを最後のお稽古日で知った姉弟子は、大切な袱紗を私にくれました。次のお稽古場に持っていくと、ちょうどお月見で、お月見だからこの袱紗を使ってるのね、と言われ、それはいい!と思い、この袱紗はお月見のころだけ使っています。

年に一度なので袱紗捌きで月とウサギが見えるとみんな「わあ」と喜びます。

お月見の時期からは1週間遅くなっていましたが、お月見団子にススキに、お菓子もお月見仕様でした。

先生が亡くなったことは、50日をすぎてから知らされました。

先生の死を知ってからは、教室に先生がいるように感じています。お稽古の最中に「先生はこう言っていたな」とか「先生だったらこう言うな」と思っているのが、幻のように見えているのかも知れませんが…。誰に迷惑をかけるわけでなし、先生はお稽古場に来られている、と信じています。

この日のお手前は「茶通箱」。

お稽古場では、10月なら10代の方々の名前を覚えよう、と言う試みがあり、私はお稽古場の赤楽を予習で見つけた「10代旦入の赤楽『福来』」に見立てました。

ここでちょっと姉弟子に意地悪。「お茶碗は?」との問いに「赤楽です」で終わってもよいところを

「赤楽とお見受けしますが…?」と問うて見ました。

姉弟子は負けじと「赤楽です」と言い切ってサクサクお手前を勧められました。

10月1度目の反省点は遅くお稽古場に行ったこと。私は先生の家から一番近いのに、ギリギリまで予習をしてお稽古場の準備もせずでした。

二番目についた私は姉弟子のお手前を見て予習をさらに深めたので、私にしては「上出来」をいただきました。

でもこれってお茶人としてどうでしょう??

10月2度目は一番乗り。でもここでもやはりギリギリまで予習しているので「上出来」をいただき、柄杓のより丁寧な扱い方を教えていただくことができました。

突然することになった四畳半花月はまるでダメ。予習をしていないから当然。

やはり、茶人としてどうか??と疑問を持ちました。

そして10月最終。風炉のお手前最終日。

掛け軸は「日日是好日」私の大好きな四十雀が描かれているおじくでした。

花は錦木と秋明菊。花も実もたわわ。収穫が終わって牛が休んでいるところ、と言うことでお香合は牛でした。

この日は早めについてできるだけ準備をしました。

先ほどまで頭に詰め込んだものをどれだけできるか試してみたいところでしたが、欲は捨て、いい感じの順番で。

私を含む経験者は予習できているので先生に「よく勉強して来たわねえ」と一旦褒められ、「と言うか、ノートを細かくとっているんでしょうね。」と言われました。

確かに…。

ノートなしでは何もできません。

さて、この日は初めての方がいました。我々のお手前を見て、「訳がわからなくなった」と言って大混乱されていました。

先生がなるべくわかりやすいようにと、砕いて砕いて説明されるのですが、緊張しすぎていて、大変。本当に右も左もわからなくなって来たのです。それがだんだんみんなにうつって来ました。先生と姉弟子が、わかりやすいように、と思って、「手はこう」と、OKのサインのようにしたので、私はこれは珍しい!と思って覚えようとしました。細かいところは前の先生と教え方が違っているところもあり、差を知るのが面白いのです。

でも…これは様子が違う!

私、わかってしまいました。

「その指はこちらの形では…?」

それを見てみんなが大爆笑。そこでやっとお稽古場の緊張が溶けました。

1回や2回。10回や20回で覚えられていないお手前(…少なくとも私は)。気長に臨めばいいと思います。

結局初めての方はお手前に1時間以上もかかりました。私は今では注意されると何を注意されてどうしなければいけないか、くらいは分かるようになりましたが、確かに上のお手前は初めて見た時、びっくりし、永遠に終わらないように感じたものです。

亡くなった先生がどんなに力を入れて私に教えてくださったのか、しみじみ感じました。

あのオーケーサインの件では、近くで先生も一緒になって笑っているように感じました。

先生の気配を感じながらお稽古をしている今日この頃です。

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